おにぎりとお別れした時のこと(ずっと公開出来なかった12月の話です)
先週、おにぎりの呼吸が荒いのに気がついて、次の日病院へ。
診察結果は肺炎でした。
片方の肺が白くなってしまっている。
レンタル酸素を勧められるも即答できなかったので、その日は入院させて帰ることに。
翌日、候補のレンタル酸素の在庫が無かったことと、他のは高額であることや、置場所が無いなど、悩みに悩んでレンタルは諦めて一旦引き取りに行く決心をする。
病院では、すでに食事も水も飲まないという事で、点滴をしてもらった。
迎えに行くと、酸素室であるのに息がかなり上がっていて辛そうだった。
点滴した足から少し血が出ていて可哀想になった。
これは酸素室から出たら、お別れだろうと覚悟する。
家に戻ると、病院では何も食べなかったのに、小さい一切れのバナナをがっついて食べた!嬉しかった。
その後は色々なものをあげた。
鶏肉、豚肉、いつもあげてないから喜んでたのが顔でわかった。
バナナ、豆腐、
食欲無くても豆乳は飲んでくれた。
食べたといっても、ほんの少しづつ、指で潰して。
水はボトルから飲まないので、スプーンであげた。
ーーー
ここまでしか、辛くて書けませんでした。
ずっとこのまま下書きに。
結局、最後ぐらい楽にしてあげたいと、酸素室は借りました。
肺炎が悪化していって、酸素室でも息が出来なくなり、数日本当に苦しそうでした。
ハッキリいって、安楽死させてあげたかったです。自分だったら、こんなに苦しいのに、水も飲めなくなって、いつ息が出来なくなるか怯えて、ただただ窒息するまで耐えるのは嫌だからです。
安楽死は、病院によって受け付けて貰えません。近所の病院では断られましたし、結局もう、酸素室から出せば呼吸困難で死んでしまう状態にまでなってしまったので、安楽死をお願いすることもできませんでした。
本当に、最後つらそうだったんです。
大人になって、あんなに声をあげて泣くなんて思いませんでした。
あの時こうしてたら、ああしてたら。
いつもラットたちを看取る時は、どちらを選んでも自分を責めてしまいます。
辛くて辛くて、もうこんな思いは沢山なのに、どうしてもラットが大好きで、一緒にまた暮らしたいと思ってしまうのです。
まだ私にはキナコがいます。
もう、2歳8ヶ月。下半身麻痺で顔には腫瘍ができ、流動食です。
責任を持って、悔いが残らないよう、最後までお世話するつもりです。
神様、キナコは苦しんで死なせないでください。